2011年10月9日日曜日

福祉コニュニティ・ビジネスと社会起業家

今年の春亡くなられた宝塚NPOセンターの森さんとの座談会内容です。

2007年の月刊福祉5月号掲載。

震災ボランティアが、なぜまちづくり・ボランティアとして、活動を継続できなかったかについて、森さんの興味深い指摘があります。

あらためて、ご冥福をお祈りします。

森さん、OGNの皆さん、頑張っていますよ。

大阪府が、福祉コニュニティ・ビジネスを支援する中間支援組織を立ち上げようとし、助成金事業を設けました。当時、私も森さんとともに選考委員として、中間支援組織の選考に関わりました。従来の実績からみると、大阪府社協か大阪NPOセンターあたりになるのかなと考えていました。しかし、いずれもプレゼンテーションが今一歩でした。ダークホース的な存在であったのが、寝屋川あいの会でした。森さんが、迷う委員に対して、寝屋川あいの会でいきましょうと強く推薦したのを覚えています。これが、大阪の社会起業家集団OGNの立ち上げにつながりました。

森さんが、あのときの選考委員に入っていなかったら、大阪にOGNは作られなかったと思います。

◇森  綾 子(もり あやこ)
元 特定非営利活動法人宝塚NPOセンター理事・事務局長





関川 地域のさまざまな福祉課題を解決するためには、制度に基づいたフォーマルなサービスだけでなく、多様な主体によるインフォーマルなサービスの存在が必要不可欠になっています。そのようななか、福祉分野に限らず、地域に根づいた活動を〝コミュニティ・ビジネス〟として取り組む社会起業家が増えています。
 本日は、自らもコミュニティ・ビジネスの起業家であり、また、多くの社会起業家の育成・支援に取り組む、森 綾子さんに、コミュニティ・ビジネスの動向と、それを支援する中間支援団体の現状などについてうかがいます。

◆ コミュニティ・ビジネスに取り組むようになった経緯


関川 はじめに、森さんがコミュニティ・ビジネスに取り組まれるようになった経緯についてお聞かせください。

森 私は、30歳の頃にボランティア活動を始めたのですが、当時、10年後の自分をイメージし、「とにかく10年間継続してプロになる。いつかボランティアを仕事にする」ということを目標において、活動していました。35歳の時に、東京大学の上野千鶴子先生の調査・研究に関わらせていただいたことも、その後の人生に大きく影響していますが、それから10年を経て、宝塚市社会福祉協議会のボランティアコーディネーターとして就職することができました。
 当時、社協ではボランティアの育成に関する取り組みは、今ほど活発ではなく、どうしたらボランティアがたくさんいるまちにできるのかを考えて、リーダー研修に力を入れることにしたのです。この時、コーディネーターの仕事は、天職だと思ったのです。

 そして、コーディネーターとして8年目を迎えた年に、阪神・淡路大震災が発生しました。宝塚市役所に「災害ボランティア本部」が設置され、全国から5万人のボランティアが宝塚に駆けつけてくれました。この時、市役所と一緒に救援活動を進めたことが、その後の連携を深めるきっかけになりました。震災を通して、市民同士の助け合いの必要性、福祉以外の分野のボランティアの重要性、リーダー不足とボランティア教育の必要性、市内だけでなくより広いネットワークの必要性など、多くの教訓を得ました。

 一方で、さまざまな問題点も浮き彫りになりました。なかでも、社協をはじめ組織的な対応が必要な機関では、手続きなどに時間がかかりすぎて迅速な対応ができないという問題です。例えば、今食べるパンを買うお金が必要なのに、寄付金は一度善意銀行に入れなければならなかったり、使命を終えて解散するにも決裁に時間がかかってしまったりと、迅速な対応をとるためには社協では組織が大きすぎる。市民が自分たちで考え、即実行できる組織づくりの必要性を強く感じたのです。

また、日本の災害ボランティアは、災害死傷者が出た家庭や高齢者・障害のある人といった支援の必要度が高い人しか支援しない傾向があります。例えば、死傷者が出た家には家財道具を運ぶボランティアがいても、そうでない家のピアノを運ぶボランティアはいないのです。
困っている一般市民を助けるのは誰なのか。やはり、市民が困っている時は市民活動団体が対応すべきだと思うのです。しかし、福祉ボランティアの育成はボランティアセンター、女性問題の解決や女性グループの支援は女性センター、国際ボランティア・NGOの支援は国際文化センターがありますが、あらゆる市民活動団体を育成する機関がなかったのです。
このような経緯から、私たちの手で市民活動団体を育成するセンターをつくろうという意思を固めました。

活動当初は、市民同士の助け合いを、有償(最適料金)で行うこととしました。
宝塚市ボランティア活動センターをベースに設立したことで、多くのボランティアの協力のもと、市の支援も得て、活動を開始することができました。

◆ 震災から10年、ボランティア・NPOはどう変わったか


関川 震災をきっかけに、ボランティアやNPOにはどのような変化が起きたとお考えですか。

森 あれから10年が過ぎて、いろいろなことがみえてきましたが、〝まちづくりボランティア〟のほとんどがいなくなったことは大きな変化ではないでしょうか。

関川 なぜ、まちづくりボランティアがいなくなったのですか。

森 私は、原因の1つとして、NPO法人にしなかったことがあると考えています。震災時に活発に活動していたボランティア組織で今も継続しているところは、すべてNPO法人になっています。また、復興支援の助成金の削減により、財政的に立ち行かなくなったところもあるでしょう。 

さらに、現在、深刻な問題となっているのは、どんどん新しい人が入ってくるなかで、共通のミッションがなくなり、内部分裂が起きているところが増えているということです。新しく入ってくる人のなかには、ただ単に働くためだけの人もいて、「働かせすぎだ」「給料を上げろ」という人が増えているようです。

◆ コミュニティ・ビジネスの現状と課題


関川 コミュニティ・ビジネスとは、具体的にどのような活動なのでしょうか。

森 私は、コミュニティ・ビジネスとは、地域住民が、地域の活性化や課題解決に向けて、自らが有償で取り組む事業だと考えています。地域の活性化に関しては、お祭り、地域特産物品の開発・販売、地域情報誌の発行などの事業があります。地域問題の解決については、フリースクール、コミュニティレストラン、ニートや引きこもり等の就労支援、外国人向けのサービスなど、多様な事業が展開されています。
また、その意義として、多様な雇用やいきがいの創出、地域の自立の支援、行政ができないサービスの提供、アウトソーシングによる行政改革の推進などがあげられます。

関川 実際に、おおさか元気ネットワークや宝塚NPOセンターでは、どのような活動を行っているのか、お聞きかせください。

森 おおさか元気ネットワーク(以下、OGN)は、自らが地域のなかで直接活動するのではなく、さまざまな分野でコミュニティ・ビジネスを起業しようとしている人たちや、具体的な活動しているNPOを支援しています。いわゆる中間支援団体と呼ばれるものですが、8人いる理事すべてが地域のなかで直接事業を展開している社会起業家で、子育て支援、高齢者や障害のある人の生活支援、まちづくりなど、それぞれの専門分野をもっています。そのため、コミュニティ・ビジネスの起業をめざそうとする人たちに対して、それぞれの分野ごとに専門的な支援ができる体制になっているのが、1つの特徴といえます。
 2003年から発足し、最初の2年間は大阪府から助成金(年1000万円)を得て活動を展開し、2005年にNPO法人格を取得し、現在に至っています。

関川 森さんは、OGNの副理事長に就任されていますが、個人のお立場でOGNに参画しているのですか。

森 いいえ。宝塚NPOセンターとして活動に参画しています。

関川 大阪府という行政エリアで、大阪府が助成し支援しているNPOに、兵庫県宝塚市のNPOが参画するということには違和感はありませんか。

森 宝塚NPOセンターは、宝塚市や兵庫県だけでなく全国のNPOへの支援を事業として位置づけていますので、行政エリアを超えて活動することにまったく違和感はありません。また、現在では、中間支援団体を支援する活動を行っていますので、今では、名前に「宝塚」がついているというのは、その地で誕生したNPOというようにとらえています。

関川 実際に、OGNや宝塚NPOセンターでコミュニティ・ビジネスの起業を支援されているわけですが、どのような分野での起業が増えているのですか。

森 最近では、スポーツ系の分野での起業が増えています。なかでも、テニスやサッカーを指導するリーダーの育成を目的とした起業が多くなっています。また、子育て支援を目的としているところも増えています。一方で、福祉系の起業に関する相談件数は少なくなってきています。

関川 福祉コミュニティ・ビジネスは、どのような現状にあるのでしょうか。

森 宝塚NPOセンターを設立した当初は、子育て支援活動や障害のある人の生活支援などを行っているボランティア団体がNPO法人化するという動きが目立ちました。その後、地域団体が指定管理者となるためにNPO法人を取得することが増え、最近では、まちづくり協議会がコミュニティ・ビジネスを展開するためにNPO法人化するという動きが増えてきています。教育委員会から委託費が出るからNPO法人格を取得するということが背景になっています。
 既存の市民団体等の活動があって、その後、法人格を取得し、指定管理者となり、委託費を得て、コミュニティ・ビジネスとして展開していくという流れができつつあると感じています。

関川 福祉分野に限らず、どのような人たちがコミュニティ・ビジネスを起業しようとしているのですか。

森 40歳代以降の女性が多いですね。また、女性が起業するほうが継続することが多いようです。

関川 なぜ、女性のほうが長続きするのでしょうか。

森 一概にはいえませんが、男性の場合は、組織をつくることに力を入れすぎるのだと思います。継続的な活動を展開するうえで、組織をつくることは大事なことですが、男性の場合は上下関係の組織になりがちなのです。
 宝塚NPOセンターも、OGNも、皆が並列の関係なかで、それぞれの専門性やもっている能力を発揮しており、ピラミッドのような組織にはなっていません。
ピラミッド型の組織をつくり、指示や命令をするだけの中間管理職をおくことは、コミュニティ・ビジネスにおいて、効果的・効率的ではないのです。中間管理職がいないから、低コストですむという側面もあります。

関川 若い人たちとの関わりはないのですか。

森 宝塚NPOセンターには20歳代のスタッフはいないのですが、年間20~30人もの大学生がインターンシップで来ています。非常に熱心で、中間支援団体で働きたいという意欲をもっている学生さんが多いです。
 また、大企業を2、3年で退職して、専門能力をNPOに提供してくれている若者もいます。今後は、大企業のなかにいるよりも、自分たちのやりたいことができるコミュニティ・ビジネスを望む若者が増えていくのではないでしょうか。

◆ 団塊の世代は地域で活躍できるか

関川 男性の場合、コミュニティ・ビジネスを継続的に展開していくことが難しいというお話がありましたが、団塊の世代の男性がコミュニティ・ビジネスを起業する際には、どのような点に留意する必要があるでしょうか。

森 私は、むしろ、60歳を過ぎて、コミュニティ・ビジネスを起業しようと思う人が、果たしてどれくらいいるのだろうかと思っています。起業のリスクを冒すより、既存のコミュニティ・ビジネスで働きたいという人のほうが多いのではないでしょうか。
そうした場合、やはり、企業にいた時のやり方だけにこだわる人は、成功しないと思います。特に、大企業のなかで高い地位にあった人は、責任者の指示は絶対で、上下の関係のなかで仕事をしようとする傾向が強いようです。
宝塚NPOセンターにも定年退職後にボランティアとして協力してくださっている男性がいるのですが、この方は、余計な口出しはせず、ゴミ出しなどの雑用も嫌な顔をせずにやってくれます。もう10年以上も続けていただいて、本当に感謝しています。
 
◆福祉コミュニティ・ビジネスの育成・振興に必要な視点

関川 いろいろな自治体の福祉計画づくりに参画させていただくなかで感じることは、特に地域福祉計画のなかに「福祉コミュニティ・ビジネスの振興」という項目が盛り込まれることが増えている一方で、具体的に何をするのかがみえてこないということです。
 先ほど、自然発生的な市民活動から指定管理者となり、委託費を得るためにNPO法人格を取得し、コミュニティ・ビジネスとして形成されるというお話がありましたが、自治体あるいは社会福祉協議会では、どのような支援・振興に取り組むべきでしょうか。

森 福祉分野では、当事者組織や親の会、住民団体など、既存の活動が多く、しかも結構大きな金額を扱っているところが少なくありません。私は、それならば、きちんと法人化したほうがいいのではないかと思うのです。
 障害のある人の親の会では、親亡き後の心配は非常に深刻な問題ですが、それならば、組織として継続的に障害のある人を支援していく体制を自らつくればいいと思うのです。親が自ら起業して障害のある子どもを雇用することも、コミュニティ・ビジネスとして展開していけば可能なのです。

 また、障害のある人自身が起業することもできるのです。実際、精神障害の分野で、私たちが支援して当事者が起業し成功している例もあります。
 外からみれば、単に今まであった活動を組織化し、法人化するだけかもしれませんが、そこに関わる人たちの生き方が変わっていくのです。

 法人化するという意義を理解し、コミュニティ・ビジネスの起業家として育っていくプロセスを支えるという視点が、福祉コミュニティ・ビジネスの育成・振興に必要だと思います。
 実際に、障害のある人が自ら起業すると、それまであった被害意識が、「自分たちの手で、皆が住みやすいまちをつくっていくんだ」という考えに転換していくのです。

関川 障害のある人が自ら起業することは大変な場合もあるでしょうか、共同経営者として活動に参画し報酬を得ることで、参加と自立を実現する道も考えられますね。

森 逆に、当事者がはじめたコミュニティ・ビジネスに市民が参加することで、相互の理解が深まったり、活動の幅が広がったりという例もあります。

関川 コミュニティ・ビジネスとは、これまで福祉分野の外にいた人たちが参入してくる方法であるという受け止め方がされている向きもあるように感じますが、そうではなく、これまでの活動を発展させるための手法として考えるべきなのですね。

◆ 今後のOGNの展望

関川 これからのOGNの展望についてお聞かせください。

森 現状では財源の確保が難しく、事務局経費を捻出できず、OGNのメンバーである「寝屋川あいの会」に事務局をおいてもらっている状況です。継続的な活動を展開していくためには事務局体制を確立する必要があります。やはり、大阪市内に事務局をおいて、専従スタッフを雇用し、仕事の量を増やし、いつ誰が相談に来られても対応できる体制をとることが必要だと思います。

仕事の量を増やすといっても、事業や規模を拡大するということではありません。小さな組織でも地域に根づいた活動を展開できる起業家をたくさん育てていきたいと思っています。そのようなコミュニティ・ビジネスを配下に収めるのではなく、OGNとしてネットワークを広げていくことが、中間支援団体として必要な視点であると考えています。

◆福祉サービス事業者と福祉コミュニティ・ビジネス

関川 福祉コミュニティ・ビジネスの起業者は、社会福祉法人などの既存の福祉サービス事業者をどのようにみているのでしょうか。

森 福祉施設を退職してコミュニティ・ビジネスの分野に来る人も増えています。福祉施設の場合は、どんなに規模が小さくても、一般のコミュニティ・ビジネスよりは組織も大きく、コストもかかるわけで、経営する側と現場の考えることに矛盾が生じ、苦労している人も多いと思います。

 コミュニティ・ビジネスの場合は、赤字さえ出さなければ、収益よりもいきがいややりがいを重視する活動なので、その違いは大きいと思います。福祉施設では、量も質も厳しい仕事を前にして、5年前後でやめていく若い人が多く、管理職が多くの苦労を抱え込んでいるのが実情ではないでしょうか。そのようなことから、コミュニティ・ビジネスを志向する管理職層が増えているのだと受け止めています。

関川 そのような意味では、人材の部分では、すでに福祉施設とコミュニティ・ビジネスはつながってきているということですね。

森 そうだと思います。私からみると、多くの社会福祉法人は企業だととらえています。借金して資金を投下し、規模を大きくしようと考えすぎているのではないと感じてしまいます。
コミュニティ・ビジネスでは、自分のやりたいこと以外に組織や規模を大きくすることはありません。必要があれば、ネットワークをつくって対応すればいいと考えていますので、自分が大きくならなくても、必要なパートナーとくっつけばいいだけです。だから、競争相手も存在しません。

関川 社会福祉法人も企業化しているところだけでなく、規模が小さく、生き残りの不安を抱えながら苦労しているところもあります。

森 規模が小さくて苦労するということではなくて、「地域に必要とされているかどうか」ということだと思います。必要がなくなったら、やめればいいと思います。その覚悟さえあればいいのではないのでしょうか。

関川 自分たちがやめてしまったら、困る人がいるというのであれば、その人たちのために、あらかじめ、NPOやコミュニティ・ビジネスといったパートナーとネットワークをつくっておくということも考えておく必要があるということですね。
 本日は、ありがとうございました。

0 件のコメント: